みなさん こんにちは。
3月11日で東日本大震災が発生してから10年が経ちます。
あの日は、確か金曜日だったかと思います。大学は春休み中でしたが、4年生と就職について話をしていました。今後の方針についてある程度決まり自分の研究室に戻ったところ、“揺れ” を感じました。研究室を出て階段を下りるころには“揺れ”が大きくなり、今までに感じたことのない感覚の中で、中庭に避難しました。その中庭には同じく校舎に残っていた学生や教職員も避難してきていて、皆で寄り添って収まるのを待っていたことを思い起こします。
もうあれから10年。早いと言えば早いし、周りの復興の状況を見聞きすると未だこれくらいかぁとの思いもあります。
震災後間もなくから、実習先(愛媛県や広島県、帯広市など)に連絡をして、生活物資を支援してもらいました。具体的にはタオル、食器などです。他にも、札幌の知り合いの先生に連絡をして、寝具セット約100セットを送ってもらいました。これは、札幌にある藤女子大(同じカトリックの大学)の学生さんが募金活動をして、集めて頂いたものです。枕や敷布団、掛け布団などが1つに段ボールに梱包されており、持ち運びに便利なものでした。本学に一度集約して、民生委員さんや社会福祉協議会の方に連絡を取り協力を得ながら、避難所にいらっしゃった方やご自宅でも不便を感じていた方に配りました。
<当時の写真です>
布団セットは50組を2回にわたって計100組送っていただきました。
翌年、藤女子大の学生さんたちが、復興支援に来てくれました。
いちごを栽培しているビニールハウスで、苗植えのための土台づくりや清掃活動をしてくれました。
実は、私は1995年の阪神・淡路大震災の時、当時勤めていた病院から現地に派遣されて支援に行ったことがありました。そこで目にしたのは、避難していた方が、寒い場所で過ごしていて、なかなか気が休める状況にはないということでした。中には風邪を引いて入院される方もいました。可能であれば、集団(風邪引きなどの感染から)から離れてとりあえず仮の住まいを見つけて、布団に横になれればと思いました。
このような体験が、当時布団を集め、風邪引きなどの2次的な被害から免れる方法をと思い立ったわけです。布団を配布するという支援は、その後なくなりましたが、別な形の支援が1年後の2012年2月から今年までずっと続いています。
それは、“いちごを食べる”ということです。これは、私の実家(津波で流されてしまいました)があった近くにいちご狩りができる農園がありました(この農園も当時は津波によって全て流されてしまいました)。子どもふたりをつれて、毎年2月の第一日曜日(いちご狩りが解禁となる日)にいちご狩りをするということです。
みなさんは、“どうして?”と思うでしょう。確かに!
これには理由があります。まず1つに実家のあった場所に毎年行くことです。2つには、震災前から実家に帰ると子ども達を連れていちご狩りをしていました。その農園の方(ご家族で経営)と顔なじみとなりました。いちご狩りをすることでお互いに健康を確認するということです。3つには、些細ではあるけど、食べることで農家の収入になるということです(些細といえるか疑問ですが)。
2月7日の日曜日も行ってきました(今回は一人で)。以前よりいちごの食べる量も減ってしまいました。でも、その分、パックで買ってきました。農家の方と今年のいちごの出来映えやお互いの家族のことなど、沢山話をしてきました。
10年を経ようとしている今現在、“復興支援”という言葉が正しいかどうかはわかりません。“支援をしている!”という意識ではなくて、普段の生活の中で、何気ない行為が被災地につながっていればいいかなとも思います。
大事なのは、一時の行為ではなく “続けること” かなぁと。“些細” なことでも自分ができること、やれることを “続ける” ことが大事です。
10年が経ち、いろいろなことが記憶から消えてしまいそうです。
まだまだ、実は “私たち” を必要としている人がいることを忘れないことが、“被災地に寄り添う” こと が"支援” に繋がるのかもしれません。