1995(平成7)年1月17日5時46分 阪神・淡路大震災が発生しました。
このブログを読まれている方の多くは、まだ生まれていなかったと思いますが、マグニチュード7.3の阪神・淡路大震災の被害状況を知り、人々の暮らしが災害によって奪われることの悲しみについて、ぜひ心を寄せていただきたいと思います。
東北に住む我々にとっては、阪神・淡路大震災よりも、東日本大震災の方が印象強いかもしれませんが、特に地域支援や被災者支援を担うソーシャルワーカーは、阪神・淡路大震災から多くのことを学びました。
阪神・淡路大震災は都市直下型の地震でした。人的被害は死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名という、戦後最悪の極めて深刻な被害をもたらしました(平成17年12月22日現在)。
もう28年も経ったのかと思う一方で、現在でも復興公営住宅では、被災者の高齢化によって生じる課題と格闘しています。
当時20代で新米のソーシャルワーカーだった私は、1月の寒い時期に、体育館で冷たいおにぎりを食べていた生活から、仮設といえども自分だけの空間を手に入れる......復興に向け一歩前進したとしか思えませんでした。しかし、その後仮設住宅では「孤独死」が多数発生し、住み慣れた地域から、人が引き剥がされることの心理的な負担の大きさを知ることとなりました。
家を失い、いつか退去しなければならない仮設住宅から災害公営住宅へと移行するプロセスは、ともすれば「安定した暮らしへの移行」と捉えがちです。もちろん、恒久的な住居によって安定した暮らしを手に入れ、生き生きとした人生を取り戻す方もいらっしゃいます。しかし、社会福祉の対象となる人々の多くは、ただ、「モノ」や「お金」が満たされるだけでは、人生を取り戻すことができない人たちです。
「孤独」は健康のリスクにつながります。「心が傷ついた状態を放置」したり、「寂しい」ことや「誰とも話ができない」ことを軽んじてはいけないのです。そのような人たちに寄り添い続けるのが、ソーシャルワーカーなのです。
阪神・淡路大震災の復興過程で見られた「仮設住宅での孤独死」という事実を知り、社会とのつながりが途切れることは、被災者が人生を取り戻すことを阻害する要因であることを知りました。「社会的孤立の防止」は、私の生涯にわたっての研究テーマとなりましたが、東日本大震災の被災者支援を行う上でも、重視して取り組んできたことです。
被災者支援はソーシャルワーカーによって重要な使命の一つですが、被災者の方々が自分の人生を取り戻すためのコミュニティづくりも大切な使命です。ソーシャルワーカーの仕事のうち、ミクロ(誰かを直接的に支援する)のみに関心を持つのではなく、人の暮らし、人の人生は一人では作れないという視点から、地域や人とのつながりを支援するという、メゾやマクロの視点からソーシャルワーカーの仕事を理解することが重要です。
阪神・淡路大震災で被害に遭われた方々への哀悼の意を表するとともに、多くの犠牲から学んだことを社会福祉実践に活かしていくという決意を新たにし、今後もソーシャルワーカーとして活動していきたいと思います。