最終日5日目です。
チェックアウトの準備をして、ホテルを出て、行ったところは、「明洞大聖堂」です。天気はよかったのですが、このとおり見事な逆光で、なかなかうまく画像が撮れなかったのです。ゴシック建築の歴史を感じさせる建物ですが、本当に見事。非常に立派過ぎて、上から下まで収めるのは、非常に大変でした…。皆さんを入れても、ここまでの高さがいっぱいいっぱい。明洞大聖堂というと、観光スポットとして有名ですが、観光ガイドにも、このあたりは画像が載っているはずなので、気になる方はそちらをご覧ください。
明洞大聖堂の門の向こうには、修道女(スール)が生活しております。
そこには、1年生スールの韓さんが一緒に暮らしてきたスールの方々がおり、そのご縁で、今は見ることができない修道院の中を見せていただくことができました。
韓さんが「ちゃんと案内してね!」と随分とお願いしてくださったようで、ありがたいばかりです。
門の中に入れていただき、修道女が訓練し、生活されてきた施設を見せていただきました。
この画像の扉をさらに囲む白い箇所には、26の十字架が掲げられていますが、ここにキリスト教を根付かせる重要な役割を果たした26名のスールたちに敬意を表して、そうなっています。
2階の広い礼拝堂では、1人のスールが頭を下げて、祈っている最中でした。神に向かう崇高な姿に、みんなで少し足を止め、祈りの真剣さ、荘厳さを目に留めて退室しました。
さらに、韓さんが一緒に生活していたスールの方々に博物館を案内していただきました。中の撮影は控えましたが、ここが韓国で最初に作られたカトリック教会の聖堂で、シャルトル聖パウロ教会の由緒ある歴史のすごさを感じました。
まず、キリスト教の伝来について、日本は、宣教師ザビエルが鹿児島に着いて布教活動をしたという経緯であることは、日本史でも学んでいることかと思います。
韓国では、親のいない子ども、親の養育能力がないと判断された子どもたちを育てる、いわゆる孤児院(=児童養護施設)の機能を担う、児童養護からはじまり、後に教育を行うことに拡張していった、その活動の柱になっているのが、カトリックの精神であるということを知りました。
韓国では、布教するために朝鮮教会の方がフランスのシャルトル修道女会へスールを要請し、1888年7月に、今や空港で有名な仁川(インチョン)の港に着いたことから始まるそうです。
当時、仁川の方が土地の値段が高く、明洞の方が安かったため、明洞に活動の地をすることにしたとか。フランス人の背の高いスールが2人、中国人の背の低いスール2人の4人が最初に、活動をし始めました。私たち殆どの者が韓国のことをよく知らず、ガイドさんなしでは色々なことに不安になりやすい状況ですが、4人のスールが知らないところで活動をし、活動を認められる形で宣教していったことに、敬意を払わずにいられません。
先日、訪問させていただいた海城保育園は、現在も残っている児童養護施設と幼稚園としての機能をもつところとしては、韓国で一番古くから続いているところだそうです。しかし、韓国で最初に孤児院(=児童養護施設)の機能を担っていたのは、ここの活動だそうです。こんなに立派な活動を長年なさってきたことに感動を覚えました。
本学もシャルトル聖パウロ修道女会が設立母体となっている教育機関であることからしても、韓国で頑張っているスールの方々と私たちは、つながりがあるものだと感じました。
観光スポットという理解なんて、とんでもないほど、立派な場所でした。韓さん、このような恵まれた機会をいただき、本当にありがとうございました。
その後、早めに仁川空港へ向かい、チェックインをし、スーツケースを預け、フードコートで昼食をとりました。そして、搭乗待合室の方へ…。ここで、ツアーガイドの金さんとお別れです。金さんには、本当に決め細やかで的確なガイドをしていただき、感謝するばかりです。「韓国にまた来たい」だけでなく、「金さんにまた会いたい」と話す人も、いました(私もそう思いました)。
帰りの飛行機では、朝鮮半島を出る頃から、島根くらいまで、ものすごく揺れました。
機内食はこちら。
ものすごく揺れたので、食事を閉じ、飲み物を手で押さえないといけないほどでした。先ほど、昼食を食べたので、あまり食べられない状態でした。帰りは、偏西風に乗るので、飛行時間が短く済みました。仙台空港では、旅行会社の佐藤さんがお出迎え下さり、ほっといたしました。
終わりの挨拶もそこそこに、皆さんも中嶋も、自宅に帰りました。終了!
学生さんたちが集団行動の自覚をもち、よく頑張ってくださいましたが、見えるところ・見えないところで、様々な手続きをしてくださったり、暖かい目で支えてくださっていた皆様方に感謝を申し上げます。