こんにちは。教員の高田です。みなさん、いかがお過ごしですか。
季節は秋から冬に移りつつありますが、仙台の秋は本当に素晴らしいですね。兵庫県から引っ越してきた私は、感動しました。妻は「心を洗われた」と喜び、娘は落ち葉のなかで一所懸命、なにかしてました(笑)。思えば秋の深まりを感じるこんな写真は、ここ数年、撮れなかったなあ。仙台は素晴らしい。お米もお酒も、お魚も美味し(以下省略)。
さて前回投稿からだいぶ時間が経ってしまいました。今日は本題、「グローバル×福祉」というお話。
グローバル、響きがいいですよね。みなさんはこの言葉で何をイメージしますか。
おそらく自分の周り、狭い常識とは違う、より広い世界をイメージするのではないでしょうか。そのイメージはほとんどあたりです。グローバルな世界に触れると、ふだん自分がいかに狭い常識のなかにいたのかに気がつくことがあります。
ですから自分の生活がどこか窮屈だなあと感じるとき、グローバルな世界にふれる経験はかなり大きな効力を持ちます。「それ以外にありえない」と思っていた身の回りのことが少し違ってみえてくるのですから。この楽しさは、無類です。「自分が悩んでいたことなど小さいことだった」という感覚になることもあります。
こういう経験、一般的には「異文化経験」といいます。
しかし今回は世にあまたある異文化経験についてだけでなく、これに「福祉」というレンズをかけてみたいと思います。
この写真(注)に写っている彼ら、誰だと思いますか。
彼らは路上で生活する子どもたち、ストリート・チルドレンと呼ばれる子どもたちです。一度は耳にしたことがあるでしょうか。親元から離れ、子どもたちだけで路上生活をする子どもたち。場所は南アジアのネパールという国の首都、カトマンドゥです。
私にとっての「グローバル」×「福祉」の経験は、彼らとの出会いによって形作られています。
きっかけは、ネパールのストリート・チルドレン支援施設での1年間のボランティアでした。大学三年生だった私は、アルバイトをしてお金を貯め、大学を休学してネパールへ向かいました。
なぜそんなことをしようと思ったのか。それは異文化経験を強く求めていたからです。当時の私は、自分を変化・成長させる機会としてグローバルに触れる以上のものはない、と考えていました。ただ異文化経験であれば、欧米でもよかったわけですし、世界旅行というかたちでもよかったはず。なぜ1年という長い時間を、ネパールという国で、ボランティアというかたちで特定の人々に関わろうと考えたのか。
それこそ、グローバルにとどまらず、私が「×福祉」を求めた理由だったのかもしれません。いや、福祉学部の学生だったからこそ「×福祉」が外せなかったのかもしれません。
「×福祉」で見えてきたものは、なんだと思いますか。
長くなってきたので一度切ります。
続きはグローバル×福祉②で(みなさん、続きを読んでください!!涙)笑。
13日(月)にアップロードします。
(注)本人たちに写真掲載の承諾は得ていますが、念のため解像度を下げて個人が特定されないようにしています。