少し話が変わりますが、
ボリジョイ劇場という由緒ある劇場で、バレエが見たかったのですが、シーズンオフで、残念。
ボリジョイ劇場という由緒ある劇場で、バレエが見たかったのですが、シーズンオフで、残念。
HPを調べると、ミュージカル「ジャンヌ・ダルク」が!
「ジャンヌ・ダルクなら、ロシア語がわからなくても、ストーリーは追えるし、白百合の精神とも重なる!」と即決でネット席予約して出かけました。
「ジャンヌ・ダルクなら、ロシア語がわからなくても、ストーリーは追えるし、白百合の精神とも重なる!」と即決でネット席予約して出かけました。
途中に休憩をはさむ2時間ちょっとの公演予定でしたが、日本で伝えられるジャンヌ・ダルクと表現のされ方が違いました。
日本で、ジャンヌ・ダルクは、「勇敢な少女」、「不幸な死を遂げた悲劇の少女」といった表現がされている印象がある方も結構いらっしゃるかと思います。
日本で、ジャンヌ・ダルクは、「勇敢な少女」、「不幸な死を遂げた悲劇の少女」といった表現がされている印象がある方も結構いらっしゃるかと思います。
こんな表現をするのは難があるかもしれませんが、私の素直な感覚に基づく表現では、
「早めにジャンヌ・ダルクは、火あぶりの刑になっていた」という感想です。
火刑になったのは始まって40分くらいで、その後、程なくして休憩になった時、
「ジャンヌ・ダルクの話はもう終わってしまったのだろうか」と思ったのですが、どうやらそうでもないようでした。
休憩後も見ていると、表現したかったのは、ジャンヌは無実の罪を着せられていたこと、
その無実を晴らすことが大切で、
彼女が亡くなっても、彼女の精神はみんなが忘れず持ち続け、伝えていくことが大切なんだという意味かと推察されました。
公演は、商売として行われているという意味もあれば、文化を伝える役割があるのでしょうから、
ロシア人の精神性に合った形で演じられ、伝えられているはずです。
恐らく、正しいことは正しいとする真面目さが生活信条としてあり、
恐らく、正しいことは正しいとする真面目さが生活信条としてあり、
彼女の精神の崇高さに親和性を感じていることを意味するのでしょう。
ただ、それが私の当てずっぽうな推察か、的確な推察かは、不明です。
いずれにしても、ロシア正教は、規則やマナーが厳格な宗派であり、歴史的な経緯や民族性が関係していそうです。
何をとっても色々な諸説もあり、どの説が的確かの判断が難しく、
例えば、参拝の時、ヴェールをまとうこと、肌をなるべく見せないこと一つ取っても多様な諸説があり、
他の宗教と同様の理解もあれば、人間の性(さが)と関連している説などもあり、とにかく多種多様です。
何が的確なのかが心もとない、ぐだぐだな内容のお粗末な記事で恐縮です。
なお、今年2月の国際福祉体験実習の記事で、韓国のキリスト教の布教について触れています。
日本とは歴史的経緯がかなり違っています。合わせてご覧いただけますと、幸いです。
バイブルサービスで話したことは、大体こんな感じです。